ベートーベン
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーベンは1770年12月17日前後に、神聖ローマ帝国ケルン大司教領(現在のドイツ)のボンで誕生しました。ベートーベンの祖父ルートヴィヒは宮廷歌手として成功しており、音楽家の家系にベートーベンは生まれました。
ベートーベンの幼少期
父親のヨハンも宮廷歌手でしたが、酒に溺れていたため、祖父のルートヴィヒが生計を支えていました。
1773年、一家を支えていた祖父ルートヴィヒが他界し、生活が苦しくなってきます。父親ヨハンは堕落した生活により、歌手としての生命が終わっていました。
ですが当時、天才音楽家として有名だったモーツァルトにヒントを得て、モーツァルトと同じように、ベートーベンにも音楽教育をはじめます。
ベートーベンを第2のモーツァルトにするため、音楽教育はとても苛烈なものだったようです。父親ヨハンの教育は、成功していたとは言いがたいものでしたが、ベートーベンは早熟の天才として才能を開花させていきます。10代には、ベートーベンは一家の生計を支える存在となります。
1787年、16歳のベートーベンはウィーンを訪れ、憧れのモーツァルトと対面を果たしています。この時、モーツァルトは30歳。ベートーベンはモーツァルトに弟子入りを申し込みましたが、母親であるマリアの訃報によって、故郷へと帰ることとなります。
モーツァルトは、この4年後に亡くなってしまうため、ベートーベンがモーツァルトの弟子となることはありませんでした。
ベートーベンの青年期
母親マリアの死後、ベートーベンは幼い兄弟達のために、仕事をかけもちするなどして、生計を支えることになります。
1792年7月、ベートーベンはハイドンに才能を認められ、ハイドンに弟子入りすることになります。11月には弟2人と一緒に、音楽の都であるウィーンへと移住します。
ハイドンに弟子入りし、本格的に音楽を学んだベートーベンは、1794年、はじめて「ピアノ三重奏曲」を作曲します。ベートーベンは少年演奏家から音楽家へと歩み始めることになります。

28歳になったベートーベンは、耳が聞こえづらいことに気付きます。音楽家にとって耳が聞こえなくなるということは、死に等しいことです。
30歳になるころには、ほとんど耳が聞こえなくなっており、ベートーベンは強い絶望を感じて、自殺を考えたことがあったようです。
ですが、今までの演奏を中心とした音楽家から、作曲を専門にする音楽家へと転進することを決意します。
1804年、交響曲第3番を発表したのを皮切りに、難聴と向きあったベートーベンは次々を曲を作り上げています。
「エロイカ」「運命」「田園」などの交響曲やピアノソナタなどが作られ、ベートーベンが生涯に作曲した約半分は、この時期の作品です。約10年間にわたるこの時期は、「傑作の森」と呼ばれるベートーベンの黄金期です。
40代になると、ベートーベンは体調の悪化や、甥のカールの養育権争いなどにより、作曲が滞ります。ですが、「交響曲第九番」「荘厳ミサ曲」などは、この時期の作品です。
1826年12月、ベートーベンは肺炎を患い、56歳で生涯を終えることとなります。死ぬ間際、「諸君、喝采を。喜劇の終わりだ」と呟いたと言われています。
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